俳句のはなし

俳句について何か書きたいと思いながら、なかなかいい話題が思いつかずに時間ばかりが経ってしまう。

考えてみると、20年前はとくに悩まずとも書きたいことは自然に浮かんできて、ブログやTwitterによく書き散らしていたものだ。

自分が年をとった、という事情もある。

そのほか理由はいろいろと思いつくのだけど、何よりいまの時代は「俳句の本質」なる言葉が容易く通じなくなってきている、という背景がある。

「いや、俳句の本質、あるっしょ!」という人もいるかも知れないが、実状は俳句にたずさわる各々が、各々固有の「本質」を語っているわけで、誰もが同意できる共通の「本質」なるものが見えにくくなっている、というのが時代の状況である。

しかも、そうした俳句における言説を、「誰に向けて」語るのか、というのもわからなくなってきた。

この点については、自分自身の個人的事情によるのかも知れない。

50歳という年齢は、なかなかな大人ではある。

若い人たちがSNSなどで発信しているのを見ると、活気があってうらやましいな、と思う。

50歳といえば、もう俳壇的には若くはないし、そろそろ落ち着いていてもいい年ごろである。

でもわかったことは、50歳というのは「落ち着いている」ように見えて、実は年齢のせいで
「感情の起伏がなくなっている」だけなのだ。

せっかくブログの整備もしてきたので、俳句について書く機会を増やしたいと思う。

いま、50歳になって、自分に見えている俳句の風景について、できるかぎり忌憚なく。

コメント