俳句を書く「楽しみ」について

2023年5月15日

ネットプリント「紙のたじま」のvol.1は、思った以上に反応をいただいて、感謝感謝です。

別に定期的に刊行しようと意気込んでいるわけではないのだけど、せっかくなので次のvol.2発行に向けて俳句を書いています。

そうして俳句を書き始めたら、これまでにない「書く楽しさ」を感じて、つい句がたくさんできてしまうんですね。

考えてみれば、むかしから「いい句を書こう」と思ったことがなく、「どうすれば楽しく俳句が書けるか」が自分のテーマでした。つまり、結局のところ、俳句を書くことが、そんなに楽しくなかったんでしょうね。

そりゃ、たまには楽しいときもありましたけどね。

なかなか、それが自分ではわからなかったんですね。

ちょっと大げさですが、これまでのいくつかの俳句へのアプローチが、ひとつのかたちになりつつある、のを感じるような気もします。気のせいかもしれないけど。

この歳になって、つくづく感じるのは、自分が何を「楽しんでいる」のかっていうのが、自分ではよくわからない、ってこと。

「俳句を書く」というのは、どれだけ考えても、その「楽しみ」のために書く、という以外に、書く理由が見当たらないです。

で、もうひとつ付け加えておくと、俳句を「読むこと」と「書くこと」は一致している、ということじゃないかと。少なくとも、いまの時点では、これは言えるかと思う。

これまで自分は、読む対象は自分の外にあって、書くことは自分の内面にある、となんとなく考えていたけど、そうでもないな、と。読む対象と、書く対象は、どちらも自分の外にあって、それは一致しているな、と。

このことは、ネットプリントに向けて、俳句を書きながら伝えていきたいところ。

例えば、それはいろいろ言い換えることもできて、見ることと書くことは一緒だし、生きることと表現することは一緒。

あ、だからこれから発行するネプリ「紙のたじま」にも、「いい俳句」を期待しないでくださいね。それはつまり、「楽しく俳句を書いている」、ただそれだけで。

なんか、いま感じている「楽しさ」を記録しておきたくて、大急ぎで、記事を書いたしだいです、はい。