ことばの〈現実〉について

2023年5月15日

俳句を書くとき、ことばの持っている〈現実〉を意識している。

このことばの〈現実〉というものは、そもそものことばの持つ象徴性を一度はがしたあとに、それでも残るそのことばの本性のようなものだ。ことばの〈現実〉は、ことばが相対化されるのを保護し、それがそれそのものであることを要求する。

俳句はそうした〈現実〉化されたことばを書くのだけど、それにはそのことばとは別のことばとの組み合わせによって書くしか手がない。

ところが、忘れがちなのは、その別のことばもまた〈現実〉化される必要がある、ということだ。

これが面倒くさい。

〈現実〉化されたことばで、〈現実〉化されたことばを書く。

そこに、ことば同士のヒエラルキーが存在しないような関係性が成立すると、その句はひとつの意味へ収斂せず、複数の意味の断面をもつような複雑な構造になる。

ことばのために消費される別のことばがいない関係。

そういう関係が、ことばの上では成立するのだと信じている。